2010年06月25日
山巓毛
山巓毛とは「さんてぃんもう」といい、糸満市の中心糸満ロータリー近くにある場所であります。

高台にさらに展望台が作られ、公園となってます。今から約600年以上前の本土の歴史でいう室町時代、この沖縄は、3つの国に分かれていて、今の南部(島尻)に南山王国、中部に中山王国、北部に北山王国があり、それぞれに王がいて独自に中国や日本と貿易をしていたそうです。
そして、これを戦いで統一したのが尚巴志という人物で、それからは琉球王国として明治の沖縄県になるまで歴史が続いていくのですが、この地は最後の南山王が戦いで敗れ自決した場所といわれて、すぐ近くに王の墓もあります。
また、糸満ハーリーの合図の旗を振るところとしても使われています。

写真中央に糸満漁港があり、糸満ハーリーが行われます。さらに写真奥にホテルがあり、そのそばに仲間のボートが停泊してます。その沖に今日は見えないが、天気が良い日にはケラマが見えます。

写真左側が糸満ロータリー、かつての糸満の中心で以前は賑わってました(過去形)

展望台から南側を撮影、丘陵中腹にみえるのは糸満市中央図書館、その上にはロンドン公園があります。

北側を撮影、西崎とその奥が豊見城市、現在の糸満の賑わっている?ところかな
糸満はかつては漁業の町として栄えていたが、最近はぱっとしない、それでも人口は約5万8千人はいて、少しずつ増加している。隣の豊見城市は最近日本一の村から市になり、那覇市の隣町として急激に人口増加して現在糸満市と差を縮めていてアパートだらけです。

今日も変な顔

すべり台などの遊具もあり、眺めもよく良い憩いの場です。

高台にさらに展望台が作られ、公園となってます。今から約600年以上前の本土の歴史でいう室町時代、この沖縄は、3つの国に分かれていて、今の南部(島尻)に南山王国、中部に中山王国、北部に北山王国があり、それぞれに王がいて独自に中国や日本と貿易をしていたそうです。
そして、これを戦いで統一したのが尚巴志という人物で、それからは琉球王国として明治の沖縄県になるまで歴史が続いていくのですが、この地は最後の南山王が戦いで敗れ自決した場所といわれて、すぐ近くに王の墓もあります。
また、糸満ハーリーの合図の旗を振るところとしても使われています。

写真中央に糸満漁港があり、糸満ハーリーが行われます。さらに写真奥にホテルがあり、そのそばに仲間のボートが停泊してます。その沖に今日は見えないが、天気が良い日にはケラマが見えます。

写真左側が糸満ロータリー、かつての糸満の中心で以前は賑わってました(過去形)

展望台から南側を撮影、丘陵中腹にみえるのは糸満市中央図書館、その上にはロンドン公園があります。

北側を撮影、西崎とその奥が豊見城市、現在の糸満の賑わっている?ところかな
糸満はかつては漁業の町として栄えていたが、最近はぱっとしない、それでも人口は約5万8千人はいて、少しずつ増加している。隣の豊見城市は最近日本一の村から市になり、那覇市の隣町として急激に人口増加して現在糸満市と差を縮めていてアパートだらけです。

今日も変な顔

すべり台などの遊具もあり、眺めもよく良い憩いの場です。
Posted by 沖縄潜水調査研究所 at 23:38│Comments(0)
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